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旧村上市の南側にあり、東西に伸びる山。会社の裏手にあります。逆か。その山居山の麓に会社があります。
峰伝いに東に歩けば、羽黒神社の本堂にも出られます。西の方へ行けば現在道路工事をしているところを越え、七湊まで続いています。
村上市南町で生まれ育ち、子供の頃は目の前にある山居山で毎日のように遊んでいました。
山の中の森はもちろん、沼や小川も田んぼの用水として機能していたようです。
小さい頃はそんな機能などわからず、ザリガニやどじょうや水生昆虫などを獲ったものです。
森の中には誰にでも見つかってしまう、「秘密基地」を仲間たちと作っていました。
その頃、学校からは「山居山は危険だから入って遊んではいけない」と言われ続けていましたが、当然聞くわけもないですね。
行動範囲がひろがり、山居山で遊ぶことがほとんどなくなってから・・・同時に宅地の造成が始まり、田んぼをやめたので必然的に用水もなくなってしまったこともあり・・・山居山には行かなくなってしまっていた。
6年前、村上に帰省したときにふと思いたって山の入口に行ってみたら、あれあれ、「危険!立入禁止」の看板。柵もある。
これではなぁ。
峰から旧村上市側は基本的に市の所有地ですが、麓のあたりは一部私有地であることも関係しているのでしょうね。
とまぁ、その看板を見なかったことにし、山に入ったが、当時遊んでいたときにあった道らしきものはなく、やぶや雑草に覆われていた。
記憶を頼りに山居沼へザクザク向かうが、それこそザリガニ釣りだなんだと子供たちが足を踏み入れ、水を湛えていた沼の面影はもうない。
生い茂った水生植物の根元を見るとぬかるんでいるので、ここから先がそうだなとわかるくらい。
なんだか寂しくなりましたね。
「どげんかせんといかん」もしくは「なにかしらしねばね」と思いつつも結婚や帰郷、商工会青年部の活動やらイベントやらで延び延び延び・・・
それから6年。今年の夏から『山居山里山整備の会』という会に入会した。
山居山の峰をはさんで旧村上市側にからむ羽黒町、南町1、2丁目、山居町1、2丁目の5町内に在住、もしくは山居山に感心のある有志で構成されている。会員現在42名。最年少は私。
会の存在だけは知っていた。でも調べようにも手がかりがない。でも山居山をなんかこう、子供たちの身近なものに戻したい。なんなら別に会を作っちまえとも思っていた。でも同じ山に似たような会が2つもあってもなぁ。それにその会が怖い人たちばっかりだったらどうしよう・・・と気にはなるが進展はせず。
そんな或る日、工事をお願いされたお客様と打合せしていたときに、たまたまその会の話になり、実はそのお客様がその会の事務局長だったという運命的な出会い。
さて、その会で何をするのか。
文字通り山居山のやぶを刈ったり歩きやすいように道を作ったり整備する会。
ただ、あくまでも「歩ける場所を確保する」くらいのもので、ガチガチに舗装して人工的に遊歩道を作ったりするものではなくて、山居山というこんなに身近にあるものと触れ合う為の手助け。だと私は考えます。会の方針はなんだったか忘れたけど。
そんなわけで、先週の土曜日に整備活動に初参加してきたわけですが。
9時集合。今回は、急で滑りやすい部分に丸太で階段をつける作業。
丸太は当然現地調達。チェーンソーでところどころの木を伐って適当な長さに切り分け、段々にする丸太と、杭にする丸太を作る。
杭にする方は、先っちょを鉈で尖がらせる。
鍬でならし、丸太を寝かせ、杭を打ち込む。
斜面でのけっこうな重労働。汗だく。
なぜ、今回このような作業をしたかというと、先月、村上南小学校の子供たちが「南小子供育成会」の企画で山居山の登山体験をした際に、その場所で何人も滑った為、会へ依頼があったそうです。
嬉しかったのは、依頼があったということ。それなりに認められているんだなぁと。
もうひとつは、そういった体験の企画があったこと。企画したのは大人であり、同世代なんだろうなと。
「危険だから行くな」という大人から「せっかく残っている自然と触れ合いなさい」という大人に変わってきたんでしょうか。
願わくば、子供たちが自発的に山道で駆け回る姿を見たいものです。「あぶねすけ、行ぐなてわ!」って怒られながら。